2008年4月15日
奥吉野・青根ケ峯ハイク
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大阪=(バス)=阪神高速〜南阪奈道路=道の駅「大淀」=吉野山駐車場
金峯山寺静御前・舞塚(勝手神社)竹林院花矢倉吉野水分神社
義経の隠塔(金峯神社) 西行庵 青根ケ峯(標高858) 蜻蛉の滝
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本日のスタートは吉野山駐車場です。
吉野のお山はweekdayだというのに、大勢の観光客が・・・日本は平和です。

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金峯山寺

 大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。
この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得さ
れます。この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。
これが金峯山寺の開創と伝えられています。

金峯山寺・蔵王堂は、前で手を合わせるダケ・・・内陣の拝観は他日に譲って、先を急ぎます。


勝手神社(静御前の舞塚)
文治元年(1185年)の暮れ、源義経と雪の吉野山で、涙ながらに別れた静御前は、従者の
雑色男に金銀を奪われ、山中をさまよっているところを追ってに捕らえられ、この社殿の前で
雅な姿で「法楽の舞」を舞い、居並ぶ荒法師たちを感嘆させたという話が伝えられています。




竹林院
聖徳太子が吉野山に来訪した折りに、護国の寺として建立したという「椿山寺」がその創始
とされている寺院です。
南北朝も終わろうとする頃、後小松天皇の勅命によって竹林院と改称し、以来、大峯修行の
拠点、修験者達の宿坊として、護持されてきました。


0 護摩堂裏に広がる庭園は「群芳園」といい、室町期に住職祐尊が作庭したものを、千利休あるいは
細川幽斎が改修したものと伝えられ、大和三庭園の一つに数えられるほど見事な景観を持っています。


いよいよ山道に入り、
上千本でお弁当の昼食です。
吉野山を紹介するとき、必ずお目にかかる風景が眼下に広がります。




花矢倉

吉野水分神社のある子守の集落への最後の上りを獅子尾坂と云います。
その坂を上りつめた右の小さな丘が、佐藤忠信の花矢倉です。
鎌倉幕府を追われた義経一行の内、奥州以来の忠臣佐藤忠信はシンガリをひきうけて、
獅子尾坂の頂上花矢倉の木立ちに身をよせ、攻め登る山僧めがけてさんざんに矢を射、
悪僧である横川覚範を討ち取った後も、なおも追いすがる僧兵たちに矢を射かけた所。

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佐藤忠信
の事は、お芝居の「義経千本桜」の狐忠信と云った方が通りが早いかも・・・
   歌舞伎の「義経千本桜」では、静御前が佐藤忠信に付き添われて吉野山を義経の元に向かうが、
   実はこの忠信、静が義経から預かり持っている
初音の鼓の皮となった狐の子であるという設定。
   静御前との道行きや、本物の忠信との早替わりなど見せ場も多いお芝居です。

                                     もう少し詳しくは・・・ココをクリック


吉野水分神社

上千本にある神社で、葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社
一つとして古くから信仰されてきました。また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ
子授けの神として信仰を集めています。




金峯神社
神奈備である青ヶ峰から東西南北に音無川、秋野川、丹生川、象川が流れ出しているが、この青ヶ峰
に水分峯神が祀られており、この神が三社に分遷された内の奥に鎮座した神社と云うことになります。
古事記によれば、伊耶那美命が火の迦具土の神を生んだ時、御陰を焼かれて病気になった時の嘔吐で
できた神として登場します。古代製鉄のイメージをありありと示している神であります。


金峯神社から左に数分・・・坂を下ると、
源義経が兄・頼朝が差し向けた追手を逃れ、隠れ住んだといわれる「義経の隠れ塔」があります。



金峯神社・義経隠塔からは、桜見物の観光客と分かれて
本日の主目的・奥千本〜青根ケ峯に向け、急坂をエッチラオッチラ・・・登ります。
ナカナカ手ごたえのある坂でしたよ

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奥千本の西行庵・・・桜は、未だ蕾・固しです。
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=西行=

保延元年(1135年)18歳で兵衛尉に任ぜられ、同3年(1137年)鳥羽院の北面の武士として奉仕して
いたことが記録に残っています。同6年(1140年)23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称しました。


近くにある「苔清水」を西行は歌に詠んでます。
         ♪、とくとくと 落つる岩間の 苔清水 汲みほすほども なき住居かな



女人結界の石塔が・・・大峰への入り口です
ココから先は女人禁制?・・・現代は大丈夫・・・昔のお話です。




青根ケ峯
思い出しました、青根ケ峯は以前・・・07/09/17万葉集シリーズの二回目で
吉野歴史資料館を訪れた時、前庭から仰ぎ見た山が青根ケ峯でした。



青根ケ峯からの下りは、道が極端に細くなり、その上・・・倒れ木が随所に・・・
跨いだり、潜ったり…悪戦苦闘の数時間です。




山道と平行のせせらぎが、徐々に大きな流れに・・・その流れを下に見ながら暫く進むと・・・滝の上にでます。


蜻蛉の滝
蜻蛉(せいれい)とはトンボのことで
二十一代雄略天皇がこの地に行幸の際、狩人に命じて獣を馳り、自ら射ようとしたとき、突然
大きな虻(アブ)が飛んできて、天皇の臂(ひじ)に喰いつきました。ところが何処からともなく蜻蛉
が現われその虻を噛み殺したので、天皇が大いにほめたたえ、これより此の地を蜻蛉野(あきつの)
と呼ぶことになりました。
その蜻蛉の名にちなんで、この滝を蜻蛉の滝と呼んでいます。
高さ約五十メートル。飛沫は太陽に映じて常に虹をつくっていることから、この付近は一名虹光
(にじっこう)といわれています。
蜻蛉の滝は古く万葉集にも記述されており、松尾芭蕉、本居宣長など著名人が多く訪れている。




仙龍寺跡と梵字岩
この地には、青根ケ峯から流れる水が、激しく落ちる蜻蛉の滝への古代人の信仰から、
この地で修行した修験道の行人が開いたとされている仙龍寺がありました。
あとに、文政年間(1818〜1826)の山崩れで対岸に移されたそうです。
その山際の岩に、当時の梵字が残っています。梵字の意味は大日如来を表します。

梵字は消えかかっていますが、カーソルをマウスの上に移動していただくと・・・




ゴールの蜻蛉野(あきつの)小野公園は、隠れた桜の名所です。
満開の桜が、疲れきった我々を出迎えてくれました。


歩行時間は約6時間、お花見に毛が生えたくらいのウォークと考えていた私にとっては、
予想外に厳しい(12`?)コースでございました。